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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)68号 判決 1963年2月18日

(第一〇九〇号)控訴人(第六八号)被控訴人(被申請人) 川崎重工業株式会社

(第一〇九〇号)被控訴人(第六八号)控訴人(申請人) 遠藤忠剛 外三名

(第六八号)控訴人(申請人) 篠原正一 外一一名

主文

一、昭和三二年(ネ)第一、〇九〇号事件と昭和三三年(ネ)第六八号事件中の申請人遠藤忠剛、同尾崎辰之助、同市田謙一および同橋本広彦に関する部分とにつき、原判決を左のとおり変更する。

(一)  被申請人は申請人市田謙一に対し、昭和三〇年一〇月分として金二、七四二円および同年一一月以降復職にいたるまで一箇月金一三、六二九円の割合による金銭を毎月二四日限り支払え。

申請人市田謙一のその余の本件仮処分申請を却下する。

(二)  申請人遠藤忠剛、同尾崎辰之助および同橋本広彦の本件仮処分申請はいずれも却下する。

二、昭和三三年(ネ)第六八号事件につき、

(一)  同事件中申請人上山喬一および同村上寿一に関する原判決を取り消す。

(イ)  被申請人は申請人上山喬一に対し、昭和三〇年五月分(前月二一日より当月二〇日までの分。以下同様)として金六〇〇円および同年六月分以降復職にいたるまで一箇月金四、二〇〇円の割合による金銭を毎月二八日限り支払え。

申請人上山喬一のその余の本件仮処分申請を却下する。

(ロ)  被申請人は申請人村上寿一に対し、昭和三〇年九月分として金六、二四〇円および同年一〇月以降昭和三四年六月三〇日まで一箇月金七、九二〇円の割合による金銭を毎月二八日限り支払え。

申請人村上寿一のその余の本件仮処分申請を却下する。

(二)  申請人篠原正一、同矢田正男、同守谷米松、同西村忠、同久保春雄、同水口保、同石田好春、同神岡三男、同露本忠一、同赤田義久の本件控訴はいずれも棄却する。

三、訴訟総費用中、申請人市田謙一、同上山喬一および同村上寿一と被申請人との間に生じた部分は、被申請人の負担とし、その他の申請人らと被申請人との間に生じた部分は、同申請人らの負担とする。

事実

昭和三二年(ネ)第一、〇九〇号事件につき、被申請代理人は「原判決中申請人らの勝訴部分を取り消す。申請人らの本件仮処分申請をいずれも却下する。訴訟費用は、第一、二審とも申請人らの負担とする」との判決を求め、申請代理人は控訴棄却の判決を求め、昭和三三年(ネ)第六八号事件につき、申請代理人は「一、原判決中申請人遠藤忠剛、同尾崎辰之助、同市田謙一、同橋本広彦の各敗訴部分を取り消す。被申請人は、右申請人らの勝訴部分のほかに、(1)申請人遠藤忠剛に対し、金五〇、〇〇〇円を支払え、(2)申請人尾崎辰之助に対し、金四八〇、〇〇〇円および昭和三二年九月以降一箇月金一〇、五〇〇円づつを毎月二四日限り支払え、(3)申請人市田謙一に対し、金四〇四、三〇〇円および昭和三二年九月以降一箇月金一七、七一五円づつを毎月二四日限り支払え、(4)申請人橋本広彦に対し、金九四、〇〇〇円および昭和三二年九月以降一箇月金二、二〇〇円づつを毎月二四日限り支払え。二、その他の申請人らの関係において原判決を取り消す。被申請人は右申請人らに対し、別紙(一)記載のとおりの各金五〇、〇〇〇円づつおよび昭和三一年一月一日以降同別紙記載の一箇月当りの各金銭を毎月二八日限り(ただし、申請人赤田義久に対しては毎月二四日限り)支払え。訴訟費用は第一、二審とも被申請人の負担とする」との判決を求め、被申請代理人は「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも申請人らの負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の主張

当事者双方の主張は、別紙(二)の当庁昭和三一年(ネ)第四七三号および同年(ネ)第四七四号事件の判決に摘示した事実(ただし、同判決の原告の主張事実中三の(一)の原告代理人菅原昌人弁護士の主張および四の主張をのぞく)と同一であるから、右判決記載の事実摘示(ただし、次のとおり読み替えるものとする。同判決の事実摘示中、原告角谷一雄、同長谷川正道、同中村隆三、同谷口清治同仲田俊明、同田中利治については、「原告」とあるのを「申請外」と読み替え、その他の原告については、「原告」とあるのを「申請人」と、「被告」又は「被告会社」とあるのを「被申請人」又は「被申請会社」と、それぞれ読み替え、「元原告」とあるのを「申請外」と読み替えるものとする。以下同様)をここに引用し、かつ、右事実摘示と左に新に記載するもののほかは、原判決の事実摘示に記載せられたとおりであるから、ここにその記載を引用する(したがつて、原判決の事実摘示は、別紙(二)の判決の事実摘示および左記の新主張と異なる限度において、変更されたことになる)。

申請人側の主張

一、申請人らの請求する各金五〇、〇〇〇円の賃金債権は、別紙(一)記載の内訳による昭和三〇年中に発生した賃金債権である。

二、被申請人主張の時効の抗弁に対し、申請人らの主張する賃金債権は、昭和三一年二月二日本件仮処分命令申請により時効が中断しており、仮りにそうでないとしても、少くともその裁判の言渡により時効中断を生じている。

三、辞職願を提出した申請人らにつき、合意退職の効力を生じない点に関して、次の事実を補足する。被申請人は、本件整理「当時一般に解雇を争う場合には退職金の受領に先立ち又はその直後において、文書をもつて、退職金は生活資金又は賃金の前払として受領する旨使用者に通告する慣行があつたことは『顕著な事実』であつた」ことを認めているが、被申請人は昭和二五年一〇月二四日までの間に、申請人らが本件仮処分申請をなしている事実を知つている。これは、被申請人の右にいう「先立ち又は直後において、文書をもつて」「通告する慣行」にも全く沿うものである。したがつて、申請人らが辞職願を提出して退職金、餞別金を受領したにしても、右慣行に沿う仮処分申請の事実に照して、申請人らがこれらの金銭を生活資金又は賃金の前払として受領したことが客観的に明白にされているから、右辞職願の提出による合意退職は効力を生ずるに由ない。

四、被申請人は、申請人らのうち細胞員の行動は一義的に日本共産党の党活動であるとして把握さるべきであると主張するけれども、党のみが独自に活動する場合は兎も角、労働組合のごとき大衆団体にあつては、その団体の決定に従うべきは当然であり、グループの組織も亦その団体の決定に従うことを前提としてこそ意味があるのである。本件で党活動と目すべきものは、細胞会議、グループ会議、アカハタ等の機関紙の配布、党加入勧誘行為等(しかし、これらの活動は会社施設内で作業時間中に行つたことはない)であつて、その他は組合活動又は組合の方針とする職場活動であり、被申請人のこの点に関する主張は独断に過ぎない。

五、職場闘争における要求事項に関しては、職場責任者がたとえ決定権がなくても、交渉に応じ、然るべき決定を権限ある責任者に求めるか、又は求めるよう働きかけることは可能である。したがつて、職制が当該交渉事項について決定権限を有しないことを理由に、職場闘争を違法視する被申請人の見解は、独断である。

六、本件仮処分の必要性について、

(申請代理人井藤誉志雄の主張)

(一)  申請人らは、昭和二五年一〇月突如一方的に解雇を言渡され、同三〇年一二月漸く解雇無効の勝訴の判決を得たが、会社は復職を許さず、昭和三一年二月本件仮処分申請に及んだのである。

解雇の言渡以来すでに十有余年、仮処分申請以来すでに六年半。悲運の同僚中には自殺したものあり、病に倒れて死亡したものあり、狂人となつたものあり、行方不明となつたものもある。而してその家族のことに及べば、如何に多くの犠牲者があつたことか。更に生きるために屈辱の妥協を忍ばねばならなかつた落伍した八十余名の同僚の人々を想起するならば、本件仮処分の緊急性、必要性の有無を今更言あげしなければならないであろうか。

職場を転々としブラツクリストをのがれるため中小企業の臨時雇として不安定な生活を耐え忍ぶ申請人らの闘い抜かんとする精神の緊張度こそ緊急性を証するものである。

申請人遠藤、尾崎、市田をのぞく他の申請人らの申請金額は一六、〇〇〇円以下であり、七、〇〇〇円にも満たないものもある。現在のベースは二万四、五千円であり、申請人らが闘つた八、〇〇〇円ベース打破の闘争から比べれば、正に三倍を超えるのである。

凡そ緊急性必要性の判断は、一般の社会生活の状態とその人の年令、経歴を綜合してなされねばならない。緊急性必要性は社会的相対概念であり、申請人らの十余年前に固定した金額の請求は余りにも低額であり、極めて不合理なものであることは、論証するまでもないところであろう。

(二)  会社が申請人らの生活状況につき調査したと称して述べているところは、杜撰であり、誇張したものである。

(1) 申請人遠藤忠剛について

昭和三二年一一月母が死亡したが、埋葬費につき市の援助を受けた。

朝日倉庫は、昭和二九年末やめ、同三〇年六月一五日から同年一二月一一日まで失業保険の給付を受けた。昭和三一年二月一日から生活保護法の適用を受けている。英語教授については川崎の労働者の子供二人を教えている有様だ。長女は日本育英会特別奨学資金により神大に、次女も同じ資金を受けて高校に在学している。

(2) 申請人尾崎辰之助について

大平工業は昭和三〇年五月やめている。長男は叔父嘉山の援助で大学に行つたのである。

家屋は板倉氏の所有で、一カ月三、二〇〇円の賃料で賃借している。民主新聞発行は全く無根である。

(3) 申請人篠原正一について

謄写印刷業を営んでいない。謄写印刷の筆耕をしているのである。収入一〇、〇〇〇円前後。妻も生活のため働きに出たが、解雇された。「近くの青木米穀店」は建築店の誤りであり、一カ月半働いただけである。

(4) 申請人矢田正男について

父は七一才、小使として働いていたが、やめている。

光造機で時間外を働いて、漸く一家が生活している。

(5) 申請人守谷米松について

妻は病弱であり、光造機で矢田と同様、時間外を働いている有様である。

(6) 申請人西村忠について

臨時工であり、時間外を働いて漸く生活している。

(7) 申請人久保春雄について

妻は北支の華北交通で交換手をしていたことがあるが、引揚後、交換手勤務はしていない。

(8) 申請人水口保について

臨時工として不安定な生活をしている。

(9) 申請人上山喬一について

転々として職場を変え、不安定な生活をしている。

(10) 申請人村上寿一について

民主的団体の役員は無給である。(平和委員会は平和を守る会の誤りか。)靴の外交販売で露命をつないでいる有様である。

(11) 申請人石田好春について

水道請負工事の経営は破産し、負債が残つている。その借金の返済を迫られている。

母はそのため二年前から病床についている有様である。妹友江は別世帯である。

(12) 申請人神岡三男について

多数の家族を養うため「朝早くから仕事に出掛け、帰りもおそいので殆んど顔を合わす機会がない」(乙一一三号証の一二)位働いている有様である。

(13) 申請人露本忠一について

「相当程度の店舖」とは間口一間足らずであり、乙一一三号証の一三の写真の電信柱から「ーヒ20」までの部分で、玉屋は隣の他店舖である。この家屋は会社から月賦で購入中のもので、その払込のため二階を間貸している有様である。

(14) 申請人橋本広彦について

専門部員とは事務員であり、給与はあるが、昭和三六年所得は年収一四三、〇〇〇円に過ぎない。したがつて、妻も働いて漸く生活している有様である。

(15) 申請人市田謙一について

多数の家族を擁し、インテリとして生活には相変らず逼迫している。

(16) 申請人赤田義久について

労働組合から月収一九、〇〇〇円を得ている。母は六一才で病弱であり、生花の師匠で漸く小遣いを得ており、姉は不具であり、妻や妹の収入をあわせ漸く一家が生活している。家屋は十数年前母が買つたものである。

(申請人遠藤の代理人池田義秋の主張)

申請人遠藤は昭和三〇年四月三〇日朝日倉庫をやめてからは、給料又は報酬を受けていない。同申請人が生活保護法による扶助を受けていること、長女次女が奨学生として通学していることは、井藤代理人の主張するとおりである。三女は垂水中学一年生、次男は垂水小学校四年生、ともに教育費の扶助を受けている。この三女と次男は幼時小児結核にかかり病弱であつた。妻も本件解雇以来極端なる窮乏生活と苦悩が原因となつて神経痛を起し、現在不整脈(神経性心臓病)のため常に強度の精神不安に襲われている。彼女は長らく病臥した母、二人の病弱児の保育、生活苦のため、疲労し切つているけれども、なお生活費を得るために、県立神戸商大の寮の炊事等の労務に服している。戦災焼残りの僅かばかりの衣類と子供のオーバー等も流質してしまつている。

申請人本人は、坐骨神経痛の持病に悩まされながら、五八才の老骨に鞭打つて受験生のため英語の自宅教授をしているけれども、教えを受ける者は平均二人に過ぎず、一人一箇月一、五〇〇円の月謝でその収入は僅々三、四千円に過ぎないのである。

もし申請人の陋居を訪ねんか、戦後十数年間破れるにまかせて畳替えもされない居室、部外者として雨戸さえ取り外されている奇々怪々なる陋居に、申請人一家六人が惨たんたる生活を営んでいるのに驚くであろう。申請人に本件仮処分の必要性の存することは、明々白々である。

被申請人側の主張

一、申請人主張の一箇月手取平均賃金の額(別紙(一)参照)および支給日を争う。

二、第一審判決に対する不服の点は左の通りである。

(一)  連合国最高司令官の声明及び書簡に対する判断について。

原判決はレツドパージの合法性に関する一般論に関連し、連合国最高司令官の声明及び書簡に関する法的判断を示しているが、その判示する処は昭和三五年四月一八日中外製薬に関する昭和二六年(ラ)第二六五号地位保全仮処分抗告事件決定において示された最高裁判所の判断に反している。

即ち、原判決は

「占領治下にあつては日本の法令は連合国最高司令官の発する命令に牴触する限りにおいてその適用を排除されていた」こと。

連合国最高司令官が昭和二五年五月三日以来屡次に亘る声明及び書簡において「日本共産党やその党員達が暴力的破壊的傾向を有する好ましくない存在である」ことを明瞭に表明していること。

昭和二五年七月一八日付連合国最高司令官の吉田内閣総理大臣宛書簡に基く報道機関からの共産主義者又はその支持者の排除は超憲的に有効であること。

をそれぞれ肯認しながら、前記書簡は「日本の国家機関並に国民に対し報道関係以外の職場からも共産主義者又はその同調者を排除すべきことを要請し、これを遵守すべきことを義務付ける法規範が設定されたものとは到底読みとることができないし、その他当時報道関係以外の重要産業に属する企業や官公庁が断行したところのレツドパージが超憲法的に正当視される根拠は何もない」としているのである。

しかしながら当時連合国最高司令官によつて発せられた声明及び書簡が公共的報道機関のみならずその他の重要産業の経営者に対し直接その企業から共産主義者及びその支持者を排除すべきことを要請した憲法その他の国内法令を超えた指示と解すべきである旨を判示した前記最高裁判所の決定(昭和二六年(ラ)第二六五号地位保全仮処分抗告事件)に反する見解であるから原判決はすでにこの点に於て誤を犯して居る。

然り而して、被申請人会社が右書簡に言う重要産業に属するものであることは、その営む業種が我国の基幹産業たる重工業であること、並びに、その産業に於て占める地位並にその規模が重且大であることにより明らかなところである。

従つて遠藤忠剛外三名に対する解雇処分の効力は、その他の点について審究判断するまでもなくただこの点について判断すれば足りる。

(二)  就業規則の解釈並に個人別該当事実に対する判断について

原判決は、就業規則第七七条第一項第二号「やむを得ない業務上の都合によるとき」、第五号「その他第一号及び第二号に準ずるやむを得ない事由がある場合」につき、同条第一項一号「精神若しくは身体に故障があるか、又は虚弱老衰若しくは疾病のため業務に堪えないと認めたとき」、第三号「第七四条の定めによつて懲戒解雇に処せられた場合」をとりあげ、前記各号と同程度に重大なものでなければならないとし、且申請人等の個々の該当事実は結局就業規則にいう「やむを得ない業務上の都合」に該当しないと判断した。

しかしながら第一、三、四各号はいずれも被解雇者個人の責に帰すべき事由を解雇理由とするのに対し、同二号はこれと異なり、会社自身の事由に起因するものを主として規定したものである。従つて同二号を制限的に解するとしても他の各号との比較関連において適正に解釈すべきものである。

即ち本件整理は終戦以来川崎造船細胞員等によつて幾多の企業破壊的、生産阻害行為が行なわれ企業内の秩序は常時攪乱され、これを排除しなければ企業の正常な運営を確保することはきわめて困難であつたこと。

後述する如く、申請人遠藤外三名は、川崎造船細胞の中心的分子であつたこと。

最高司令部当局よりかかる分子の排除につき強い要請があつたこと。

当時被申請人会社は占領軍の管理下にあつてその厳重な管理を受けていたこと。

等の事実を指摘すれば本件整理が一般的に就業規則に定める「やむを得ない業務上の都合」に該当するものであることが容易に肯認できるのである。

而して被申請人会社は、本件整理を実施するに当り、真に排除に値いする者のみを整理すべく内部的に整理基準を設定し、個々人につき基準該当事実の有無を検討して、かりそめにも解雇権の濫用と思われるふしが生じないように極力努めたのである。

しかしながら右に言う整理基準は、本件整理の性質上被排除者の企業に対する危険性を徴表するものとして、これを設定したのであるから、これが具体的適用にあたつても、右の趣旨に則り個々の行為を単に個別的に基準に該当するかどうかを判断するに止らず、これらの行為を更に綜合的に捉えて全人格的にその危険性を判断することに重点をおいたのである。

特に申請人らの大部分は当時川崎造船細胞に組織され、その他の支持者と共に集団的に各種の行動を行なつていたものであるから、これが危険性の有無はそのような集団的、組織的背景において把握しなければ到底その肯綮を期し得ない実情にあつた。

特にその際日本共産党の組織並びにその特殊性就中、党員が一般団体構成員と異なり、極めて高度の行動性を課せられていた事実は、十分考慮せられなければならないのである。

然るに、原判決はこの様な本件整理の特質を看過し、申請人らの各該当事実の判断にあたつては、懲戒解雇の場合に準じてその行為を個別的にとりあげ、これが非難性の有無のみによつて就業規則の適用を判断しているのである。

然しながら懲戒解雇はあくまでも過去の行為に対する「いましめ」又は「こらしめ」を中心概念とするものであるが、本件整理は被解雇者の行動を通じて示された企業に対する全人格的危険性を排除し企業をその危険から防衛する趣旨をもつて行われたものであつて、両者を同一に処理することは右にいう特質を無視した不当な適用と云わなければならない。

申請人らの行動は、その一つ一つを捉えてみても被申請人会社の企業秩序に対する侵害であり、従業員として著しく背信的なものであつて充分非難に値いするものである。

いずれにしても申請人らの該当事実に関する原判決の就業規則の適用は事実の認定並にこれに対する評価を誤つたものとして承服することは出来ない。

(三)  原判決は申請人遠藤、同尾崎、同市田、同橋本の四名につき賃金支払の必要性を認め、賃金の支払を命じたが、その根拠としてかかげる処は首肯し難い。

元来賃金債権は給付の訴によつてその履行を求めるのが筋道であり、仮処分によつてその履行を求めるのは、緊急な必要性が認められる特別な場合に限ることは言う迄もない。このことは、特に賃金請求仮処分においては、その結果が給付の確定判決と全く同一の効果をもたらし、後日申請人が勝訴した場合においても、仮処分によりすでに支払を受けた金員を申請人から返還させ給付を原状に回復させることが事実上不可能な事情にあることを考え合わせる時は、一層強い意味に於て、緊急性必要性が強調されなければならない。

従つて賃金支払仮処分請求が許容されるのは、通常解雇直後であつて、他に就職の途もなく生計を維持し得ない特別の事情にある場合に限られるのであつて、本件の如く解雇後既に一〇余年を経過した今日に於て、仮処分を以つて賃金の即時支払を求めるのは失当である。何となれば申請人等は事実上一〇余年の間自ら生計を維持し、相当の生活を継続して今日に至つているからである。

尚原判決は、「申請人等はいずれも充分な生活力を有する青壮年であつて、申請人会社から賃金を受けられなくなつたとは言え失業保険金の給付は受けたし、しかもその後六年以上経過しながら健在なのであるから、その間相当の収入を得ていたに相違なく、現在も生活に窮している筈はない」という被申請人の主張を単なる抽象論であるとして斥けているが、申請人等はいずれも程度の差こそあれ、解雇後既に一〇余年それぞれ生業につきその生活を維持して来たのであり、現在仮りに生活か困窮している者があつたとしても、それはむしろ解雇後の申請人の環境や努力如何にかかわる処であつて、被申請人会社の解雇処分と直接の因果関係は無いと解するのが社会的良識に合致すると信ずる。

次に原判決は、解雇後他に就職し一定の収入を得ていた場合であつても、その後事情により職を失ない、現在無収入であると言うような場合まで当然に仮処分申請の必要性が認められ、それを否定する合理的根拠はない旨述べているが、右論旨にも承服し得ない。

即ち賃金支払請求仮処分が許容されるのは、当然その請求原因である解雇処分と直接因果関係のある場合に限られるべきであり、解雇後他に就職し、再就職先より解雇された者の生活難は、むしろ第二の就職先よりの解雇に基因すると解するのが至当であつて、申請人会社からの解雇と生活上の必要性との直接の因果関係は、その時点に於て、中断されていると解すべきであるからである。

右に関し、原判決は「使用者は労働者を不当に解雇し、生活難に陥れたとしても、その労働者がやむなく一時しのぎにでも他に就職した以上、不当解雇に基く生活難を理由とする、仮処分を命ぜられる処が無くなり、甚だしく不合理である」旨述べているが、右は内職程度の収入については考えられないではないが、他に定職を得た場合に迄、之を拡大して解釈することは合理的でない。後者の場合には給付の訴を以つて訴求するのがより合理的であり、且つ之を以つて足るのである。

更に原判決は、既に生活して来た過去の賃金の一部を各申請人につき個々に支払うことを命じているがこのような場合は特別の事情のない限り必要性を欠くものと言うべきである。

(四)  尚原判決は申請人ら(遠藤外三名を除く)の辞職願提出による退職の意思表示は心裡留保に該当するが、会社はその真意に非ざることを知り又は知り得べかりし事情になかつたから、雇傭契約の合意解約は無効にならないと判示している。

申請人らと会社の合意解約が無効でないという点については原判決の判示するとおりであるが、原判決が申請人らの辞職願の提出を、その真意に基くものでないと認定し、特に一〇月二〇日申請人らの所属する労働組合が、本件整理を承認した事実をとらえて、申請人らの心境の変化を肯定するに足る特段の事情に該当しないと判断した点については、当時の諸情勢に照し、誤つた判断であつて被申請人の深く遺憾とする処である。

原判決は、組合の承認は特段の事情に該当しないと述べているだけで、その理由について明かにしていないが、申請人らが当時おかれていた四囲の状況並びに申請人等の当時の心理に立ち入つて深く考えて見れば、その判断が正鵠を得たものでないことは明かであると信ずる。

三  本件仮処分申請は緊急性、必要性がない。

(一)  そもそも賃金請求の仮処分は即時に執行力が与えられるので、申請人は之によつて直ちに賃金を獲得し、結局「本案訴訟に於て勝訴の判決を得たと全く同様に完全に」(最高裁昭和二四年四月二七日判決)満足を得るものであり、後日被申請人が本案訴訟に於て勝訴し、その仮処分が取り消された場合でも事実上は既に支払われた賃金は消費され、その返還を求めるのが不可能なのが常態であるので結局「原状回復をなし得ざるようなやり方で債権者に満足を与える仮処分」(最高裁昭和二四年四月二七日判決)に相当するものであるから仮にかかる仮処分を認める立場に立つとしても之が必要性の有無に関する判断については相当高度の疎明を必要とするとなすのが至当である。

しかるに申請人らは、当審に於ては新たな主張立証は行なわない旨を陳述し、ただ漫然と原審申請当時の主張を維持するのみであつて、現在の時点に於て如何なる事実に基づき本件仮処分の必要性があるかについては何等ふれる処がない。

言う迄もなく仮処分の必要性は口頭弁論終結の時を基準とすべきであるが、本件仮処分申請が神戸地裁に提起されたのは昭和三一年二月二〇日であつて以来今日迄既に七年の年月を経過しているのである。従つてその間社会経済情勢が大きく変容したことは勿論申請人ら個人の生活についてもそれぞれに大いなる変化を生じたであろうことは充分予想されるのである。例えば本件仮処分を申請した昭和三一年当時無職無収入であつた者も雇傭状況がひつぱくし、賃金水準等も急激に上昇しつつある今日他に容易に就業の機会を得て相当の収入を得るに至ることも又当然考えられる処である。従つて現時点に於て申請人らがなお本件仮処分を求める必要のあることにつき何等の主張も疎明もないことは結局本件仮処分の必要性について疎明のないことに帰するものであつて、この点に於て本件申請は当然棄却さるべきものであると信ずる。

(二)  被申請人は昭和三六年当時に於る申請人らの生活状況につき調査したが、右調査の結果に照しても次に述べる如く本件仮処分の必要性はないことが明かである。

(1)  申請人遠藤忠剛について

(イ) 申請人は被申請人が原審で主張した通り昭和二六年から同二九年頃迄大阪のコーンズカンパニーに勤務し、月収約二五、〇〇〇円を得、更に昭和二九年一二月一〇日より昭和三四年五月二八日頃迄朝日倉庫運輸株式会社(神戸市葺合区雲井通四丁目二〇番地所在)役員に就任し月収約二〇、〇〇〇円を得ていたものである。

これに加えて同人は語学に堪能である処から相当以前より多数の学生を自宅に集めて英語の塾を開いており、右による収入も相当程度あるものと予想される。

(ロ) 現在申請人の家族は妻及び一男三女であり(原判決当時いた母は既に死亡している)長女瑛子は現在神戸大学教育学部に在学中である。

申請人は昭和三一年当時二児が病弱であり、相当多額の生活費が必要であり、そのため医療費六四九〇円が未納であり、又米屋にも一四、〇〇〇円の借金がある旨主張しているが、原審より五年を経過した今日に於てもなお依然として二児が病弱であると言う疎明もないのであり、又前記生活状況より見て申請人主張の如き借金が残つているとも考えられない。

(ハ) 原判決は昭和三一年一月一日から昭和三一年八月三一日迄の解雇当時に於る平均手取月額二〇、八〇〇円の割合による合計賃金四一六、〇〇〇円を仮に支払うことを命じているが、前記の如く同人の朝日倉庫運輸株式会社役員就任は昭和二九年一二月一〇日から昭和三四年五月二八日に及んでいるものであり、又同人に前記の期間四〇万円の多額にのぼる借金があつたとの疎明もないのであるからこの点に関する原判決の判断は誤つている。

(2)  申請人尾崎辰之助について

(イ) 申請人は解雇後大平工業株式会社(大阪市北区鶴野町一二番地所在)の代表取締役に就任、同三二年五月頃迄同会社の代表取締役の任にあり相当程度の収入があつたことが推認せられる。

なお原判決当時静岡大学工学部に在学中であつた長男は同学部を卒業後大阪大学大学院理学研究所に在学し、申請人と同居している。

(ロ) 原判決当時日本大学医学部に在学中の長女は卒業後他に転住し、現在申請人宅は妻、長男と三人暮しであるが、住居は宅地約五〇坪、建坪約二五坪の瓦葺二階建である。右住居にはテレビ、電話の施設もあり、中流程度の生活を営んでいることが一応推認できる。

(ハ) 原判決は昭和三一年一二月一日から昭和三二年八月三一日までの解雇当時の平均手取月額金三〇、五〇〇円の範囲内である月額金二〇、〇〇〇円の割合による金一八〇、〇〇〇円並びに同年九月一日以降の賃金として毎月金二〇、〇〇〇円ずつを仮に支払うことを命じているが、申請人は解雇後昭和三二年迄引き続き前記大平工業の代表取締役をしていたのであり、又現在同人の生活状況が相当豊かであることを考えれば原判決の命令はその根拠を失つたと言うことができる。

(3)  申請人篠原正一について

(イ) 申請人は整理直後より居住地に於て謄写印刷業を営み、同営業による現在の平均月収は約二〇、〇〇〇円位である。

(ロ) 妻は昭和二二年一月から同二九年五月迄兵庫県製麦工業協同組合に交換手として勤務していたが、昭和三五年頃より居住地近くの青木米穀店に勤め月収約六、〇〇〇円を得ている。

(4)  申請人矢田正男について

(イ) 申請人は昭和二六年頃より光造機株式会社(神戸市兵庫区西出町三二一所在)に勤務し、その所得は昭和三四年に於て四二七、八九五円、昭和三五年に於て五一二、九六五円、同三六年度に於て五五八、一二二円である。

(ロ) 申請人の家族は父妻及び二女であるが、父は土建業松本組に属し平均九、〇〇〇円程度の月収もあるので申請人の生活は相当豊かである。

(5)  申請人守谷米松について

(イ) 申請人は光造機株式会社(神戸市兵庫区西出町三二一番地所在)に勤務し、その所得は昭和三四年は二九一、四六七円、同三五年は三三六、七二〇円、同三六年は三六五、七〇三円である。

(ロ) 申請人の所帯は妻と一男三女であるが、妻は植田忠商店(神戸市長田区三番町二丁目所在)に勤務し、その所得は昭和三四年は六九、四五五円、同三五年は五六、五八五円、同三六年は八五、五八五円である。

(ハ) 長男はオール出版社(神戸市兵庫区湊町二丁目二五所在兵庫出版社内)に勤務し、その所得は昭和三四年は二一六、六二一円、同三五年は二二二、四〇〇円、同三六年は三一二、五〇〇円である。

(ニ) 長女は秋毎ゴム株式会社(神戸市長田区神楽町五丁目所在)に勤務し、昭和三四年の所得は六九、八五五円、同三五年は九九、九一五円、同三六年は一二一、四三四円である。

(ホ) 以上の通りであるから申請人の生活は全く安定し少くとも中流程度である。

(6)  申請人西村忠について

申請人は整理後神戸船渠工業株式会社(神戸市兵庫区西出町三二九)に臨時工として稼働していたが、昭和三〇年より松田工業所(神戸市兵庫区築島四丁目所在)に勤務し、現在に及んでいる。その所得は昭和三四年に於て三二二、七一二円、同三五年に於て三二九、三三四円、同三六年に於て四〇四、一九八円である。

現在の家族構成は妻並に二男であつて相当程度の生活を営んでいる。

(7)  申請人久保春雄について

申請人は昭和二六年七月より光造機株式会社(神戸市兵庫区西出町三二一)に勤務し、その所得は昭和三五年に於て四〇一、五九七円、昭和三六年に於て四〇六、五四八円である。

申請人の妻も会社に交換手として勤務し、推定年収二〇〇、〇〇〇円である。

現在の家族構成は妻並に一男一女であつて生活は相当豊かである。

(8)  申請人水口保について

申請人は昭和三〇年頃より栗村鉱業株式会社(大阪市北区堂島本通一丁目)神崎工場に勤務し、昭和三四年に於る所得は二七三、三六二円、同三五年に於ては三九三、三八二円、同三六年に於ては五〇一、八四八円である。

申請人の現在の家族構成は母妻甥の三人で生活は相当豊かである。

(9)  申請人上山喬一について

申請人は昭和二七年頃より昭和三四年三月迄田中鉄工所に同年三月から同年一〇月迄末松鉄工所にそれぞれ勤務し、現在は坪内鉄工所(神戸市長田区川西通り五丁目二〇四所在)に勤務している。

その所得は昭和三四年に於て二一六、四〇〇円、同三五年に於て九四、四四五円、同三六年に於て二五六、〇〇〇円である。

申請人の家族は妻並に一男であるが、早くよりテレビ等も購入し、生活程度は普通とみられている。

(10)  申請人村上寿一について

申請人は昭和三四年頃迄日ソ親善協会大阪事務局長をしており、その後現在に至る迄大阪日ソ協会(大阪市西区江戸堀北通二ノ二四中島ビル二〇二号)理事の職にある外、同ビル内の平和委員会の役員にも就任しており通常の生活を営んでいる。

尚申請人は革靴販売業をも営んでいる。

(11)  申請人石田好春について

(イ) 申請人は整理後私宅にて二、三人の従業員を使用して水道請負工事を経営していたが、その後竹林塗装工業株式会社大阪営業所(大阪市北区茶屋町七八所在)に勤務し、現に平均月収約二六、〇〇〇円を得ている。

(ロ) 同人の家庭には母、妻、妹の三人がいるが、右妹友江は昭和二七年一〇月以降被申請人会社に入社し、現在平均月収一六、〇〇〇円があつて、相当の生活を営んでいる。

(12)  申請人神岡三男について

申請人は現在日本発動機株式会社(神戸市兵庫区金平町二丁目八所在)に旋盤工として勤務し、昭和三五年の所得は五三八、〇〇〇円、同三六年は六六一、五七一円であり、町営住宅に住みテレビ等もあつて普通以上の生活をしている。

(13)  申請人露本忠一について

(イ) 申請人は兵庫区上沢通七丁目に相当程度の店舗を構え、同所に於ててんぷら店を営み、営業も相当繁昌している実状である。

(ロ) 更に神戸市長田区三番町三丁目五番地所在の自宅二階を間貸し、月約三、〇〇〇円の定収入がある。

(ハ) 長男は松江農大に在学中であり、申請人の生活は安定し可成り豊かである。

(14)  申請人橋本広彦について

(イ) 申請人は日本共産党中央本部(東京都渋谷区千駄ケ谷四ノ七一四)に専門部員として勤務し、相当の収入を得ている。

(ロ) 申請人は妻との二人暮しであるが、妻は銀座印刷所(東京都中央区銀座東三ノ七)に勤務しており生活は中程度である。

(ハ)原判決は申請人の手取月収を七、〇〇〇円と認定し、相当生活に困窮しているものと推認して昭和三一年一月一日から昭和三二年八月三一日迄の解雇当時における平均手取月額一五、二〇〇円の範囲内である月額金一三、〇〇〇円の割合による金二六〇、〇〇〇円並びに同年九月一日以降の賃金として毎月一三、〇〇〇円ずつを仮に支払うことを命じているが、申請人が日本共産党中央本部専門部員と言う重要な役職にあることを思えばその収入も可成りのものがあることが容易に推認されるし、又妻も勤めに出て或る程度の収入を得ているのであるから原判決の命令はその根拠のないものと見ることが出来る。

(15)  申請人市田謙一について

(イ) 申請人は昭和二八年七月以降能率風呂工業株式会社(神戸市生田区明石町明海ビル内)に勤務し、原判決当時手取月額二五、〇〇〇円を得ていた事実は原審に於て申請人の自認した処である。現在に於ても申請人は同会社研究所(須磨区稲葉町四丁目所在)に勤務し、その所得は昭和三四年は五九二、五二五円、同三五年は五九一、六二七円、同三六年は五九〇、六二一円である。

(ロ) 申請人は昭和三三年よりは同会社の社宅に居住し、給料生活者として現に中流以上の生活をしている。

(ハ) 原判決は当時の月収では月々家族の生計費に一応五、〇〇〇円不足すると考え昭和三一年一月一日から昭和三二年八月三一日迄の右不足分相当額一〇〇、〇〇〇円並に昭和三二年九月一日以降の賃金として同月以降毎月五、〇〇〇円を仮に支払うべき旨を命じた。併しながら申請人は原審に於て三〇〇、〇〇〇円の借金があると主張はしているけれども右主張に副う具体的疎明の存しなかつたことは原審の認定するとおりであり、又仮りにかかる借金があつたとしてもその返済を迫られているという疎明もない。現在に於ける申請人の収入は月額五〇、〇〇〇円に及ぶものであり、給料生活者としても相当上位にあることが認められるのであるから少くとも現時点に於ては原判決の命令はその根拠を失つたものと言うことが出来る。

(16)  申請人赤田義久について

(イ) 申請人について賃金仮処分の必要性のないことは原判決の認定したとおりであるが、その後に於る申請人の生活状況の変化を考慮しても原審の認定は維持せらるべきである。

(ロ) 申請人は解雇後全倉庫運輸労働組合同盟に勤務していたが、その後住友倉庫労組書記を経て全国倉庫運輸大阪地方連合会(大阪市西区川口町八番地住友倉庫労働組合内)に執行員として勤務し、現在に及び相当程度の収入を得ているものと推認される。

(ハ) 原判決当時申請人は母及び姉妹と同居し、現在は妻帯し長女をもうけ六名家族の世帯主となつているが、母は生花茶の先生で三〇名位の弟子を持ち相当の収入がある。

(ニ) 妻は垂水区霞ケ丘小学校の教員をしており、本俸九、一〇〇円を得ている。

(ホ) 妹は兵庫区兵庫幼稚園保母をしており昭和三六年の収入は三五四、一三九円である。

(ヘ) 申請人の現住家屋は昭和三五年に二一七、八〇〇円で購入後二階を増築し、相当な生活を営んでいる。

(三)  申請人の求める本件仮処分は終局的満足を目的として仮の地位を定める仮処分であるから、その必要性に関する要件は民訴法第七六〇条に従い厳格に解すべきものであり、申請人らの財産生命等に対し重大にして回復すべからざる損害を生ずることが具体的に明白な場合でなければならないことは既に被申請人がしばしば述べて来た処である。

そもそも金銭支払の債権につき、仮の地位を定める仮処分は扶養料請求訴訟を本案とする扶養料支払の仮処分に端を発したものであるが、このような処分を裁判所が認めたのはいつに即時の支払を受けること無くしては、即ち本案訴訟の結果を待つていたのでは今日の生命を維持することが出来ないというぎりぎりの必要ある場合のあることを認めて、これに対する特別の救護のための処置としてである。

しかるに敗戦による我が国経済の異常急激なる変動は、多量の失業者を続出せしめ、手から口への労務者が一たび失職すれば忽ち明日の糧に窮すると言う緊急事態を随所に生ずるに至つたので、これが救済手段として労働事件に於ては仮の処分により仮の地位を定め、一時の平和状態を作ることが割合広く認められ、これに付随して賃金支払の仮処分も容認されるに至つたのであるが、右は特に労働事件に限り前述仮処分の本質よりする要請を否認する趣旨では勿論ないのである。即ち、終戦直後のインフレーシヨン昂進下に於ては、国民生活は窮迫し、一たび職を失う時は容易に新たな生活の途を見出すことは極めて困難な状況にあつたのである。従つて極言すれば失業即ち生活の破滅を意味していた当時の社会事情の下に於て一定の賃金の支払を命ずることは被解雇者の生命を維持するためのギリギリの措置であつたのである。

然しながら、終戦後十数年を経、社会情勢も安定し、雇傭事情も好転したその後に於ても、労働事件に於ては地位保全の仮処分に殆んどつきもののように賃金支払の仮処分が申請せられ、その必要性緊急性についての検討をも充分行なわずして、僅少の訴訟費用(貼用印紙は百円)を以つて、働かざる過去の賃金まで積算して将来の賃金と併せて申請するという風潮が一部に生ずるに至つた。本件賃金仮処分もまさにその一例であつて、申請人らが真に窮状にあつて緊急已むを得ない必要に迫られてその支払を求めようとしたものではない。もし真に申請人らが整理による失業のため著しく窮乏し、生存を維持するためぎりぎりの必要に迫られて賃金の仮払を求めんとしたものであるならば、昭和二五年一〇月整理直後、遅くとも本案訴訟提起(昭和二七年一一月一二日)と同時頃にその申請をするのが当然であると思われる。然るにそのことなくして経過し、整理後六年本案訴訟提起後四年の歳月を経過した昭和三一年二月二日に至つて俄かに緊急の必要ありとして本件仮処分の申請を提起して来たのである。その動機は申請人らが原審判決に於て一部勝訴したことに勢を得て既に当時までいずれも他に生活の方途を得て生計を維持し、今後とも右職業によつて生計の維持が充分可能であると言う事実を無視して何等現在の危険も緊急の必要もないのにかかわらず、過去現在未来の賃金につき仮処分の申請を行なつたのである。即ち申請人らの申請は何等緊急の必要に基くものでなく、仮処分制度本来の趣旨に反するものと言うべきである。けだし通常賃金支払の仮処分が許されるのは解雇直後他に就職の途もなく、最低限度の生計をも維持し得ない事情がある場合に於てであるが、本件の場合は整理後数年何等緊急救護の必要性を訴えず、爾後無為にして六年を経過し一審判決の結果を見てその直後突如として申請したものである。従つて本件の場合は整理後すでに一二年を経過し(第二審最後の口頭弁論期日)ており、その間申請人らはそれぞれ生業につき相当の収入を得て生活を維持し来たつて現在なお健在なのである。

以上の事実を勘案するに申請人らに他に本件命令を必要とする特別の事情が疎明されない限り今俄かに仮処分によつてその生活を救済する緊急の必要は認められない。

殊に申請人らは既往の賃金、即ち本件に於ては金五〇、〇〇〇円と整理後昭和三一年一月一日以降の過去の得べかりし賃金をもーしかも現実には働いていなかつたのにー仮処分により請求するのであるが、仮に申請人らがかかる賃金を支払請求権ありとして本案訴訟によつて請求するのは自由であるけれども、仮処分により即時に請求しなければならないような必要性も緊急性もないのである。言う迄もなく仮の地位を定める仮処分は「著しき損害を避ける」ことを目的にするものであり、その危険はもとより現在のものたることを要し、仮りに過ぎ去つた過去の危険があつたとしても、右危険が具体的に現在にまで引き延ばされ「現在の危険」として認識されるものがなければ、仮処分として考慮に価しないであろう。

整理からすでに十数年を経過した今日においてすでに申請人らが一応の生計を営んで来た過去の数年間につきその賃金を積算してこれが支払を要求することは、右を必要とする特別の事情のない限り到底許すことのできないことである。

言うまでもなく、賃金支払の仮処分は個々の労務者につき現時点における必要性緊急性の有無を吟味し最も慎重に考慮してよくよくの必要ある場合においてはじめて許容さるべきものであるが、申請人らはこの点に関し何等疎明するところがない。現在の申請人らの収人および生活状態は詳述したとおりであつて、事実上も申請人らは何らその必要性がないのである。

四  仮に百歩を譲り、申請人らの内一部の者の整理が無効であつて、被申請人がこれらの者に対し賃金相当額に対する支払額の支払をする必要があるとしても、申請人らは被申請人会社に対する就労の債務を免れる一方、他方に於て他に就労して収入を得ているのであるから「債務を免れたるに因りて得たる利益」を償還することを要し(民法五三六条二項東京高裁昭和三六年一月三〇日判決判例時報二五八号三〇頁参照)結局申請人の賃金請求権は前記利益の償還額を控除した残額についてのみ存在することとなる。従つて本件仮処分の範囲も、右請求権の範囲内にとどまるべきである。労働基準法第二六条は使用者の責に帰すべき事由による休業の場合、平均賃金の百分の六十を支給すべき旨を規定しているが、右規定の趣旨は労働者の最低生活の保証として賃金の六割が相当であると言うにある。従つて現在の著しき損害を避けるため、暫定的に法律関係を形成せんとする前記仮処分制度の趣旨よりするも、この場合申請人らの得べかりし賃金の六割を限度として認めるのが相当であると信ずる。

疎明関係<省略>

理由

一、申請人らが被申請会社の従業員であつたこと、被申請会社が昭和二五年一〇月一四日附の通告書をもつて、申請人らをふくむ一〇五名の従業員に対し、同月二〇日限りで解雇する旨の意思表示をなし、該通知書が右一四日頃申請人らに到達したこと、申請人らのうち、篠原、矢田、守谷、西村、久保、水口、上山、石田、神岡、露本、村上の一一名が被申請会社に辞職願を提出し、遠藤、尾崎、市田、橋本、赤田の五名が辞職願を提出することなく右一〇月二〇日限りで解雇扱いを受けることになつたことは、いずれも当事者間に争がない。

二、申請人遠藤の代理人池田義秋は、「本件仮処分申請事件の本案訴訟は賃金請求訴訟であるが、これに対し先決的関係に立つ右申請人および被申請人間の解雇無効の本案訴訟については、すでに神戸地方裁判所において昭和三〇年一二月二六日右申請人勝訴の第一審終局判決の言渡があつたから、本件仮処分申請事件にあつては、当事者間に雇傭関係の存続すること自体は審判の対象とならない」と主張する。かかる終局判決の言渡のあつたこと、ならびにその第二審(別紙(二)の当庁昭和三一年(ネ)第四七三号事件を指す)が当裁判所に係属していることは、いずれも顕著な事実に属する。ところで、かかる未確定の本案判決に依拠して雇傭関係の存在を認定するか否かは、仮処分裁判所の自由心証に属する事項であるところ、本件において、右第一審の本案判決(成立に争のない甲第三三号証、旧書証番号は甲第一号証)によつては未だ雇傭関係の存在を疎明するに足らない。これに反する右申請代理人の見解は、当裁判所の採用しないところであつて、理由がない。

三  (一) 本件における事実認定および法律的判断は、別紙(二)に添附する当裁判所の判決理由の二から一六までの記載と同一であるから、ここにこれをすべて引用する。

ただし、右各引用に当つては、別紙(二)の右判決理由における事実認定および法律的判断に供した証拠資料ならびに認定の摘示に関して、次のとおり読み替える。

(1、ないし5、省略)

(二) 本件における右認定に関し、別紙(二)の判決の理由において判断の資料に供したところの、「甲第五号証の一、三、第二八号証、当審における証人仙波佐市、古田槌生の各証言、当審における原告谷口清治、田中利治、仲田俊明、長谷川正道、角谷一雄、元共同原告石川利次、西岡良太郎、池崎種松、梅野浩司、浅田義美、小林時則、小山竹二、平松一生、沖合善一、船橋政雄、松尾幸雄、松尾美恵子の各供述ならびに原審における証人坂口干雄、細田平吉、下堂園辰雄(第一、二回)、中江範親(第一、二回)、古河幸雄、河辺光明、吉田俊夫、当審における証人加藤誠治の各証言」が本件の証拠資料として提出されていないけれども、これらの証拠資料の欠如は、本件における申請人らに関する上叙の事実認定および法律的判断を左右するものではない。と同時に、本件における新規の主張や本件で特に提出されている証拠をもつてしても、本件における叙上の事実認定および法律的判断を動かすに至らない。すなわち、

(1)  本件における16事件(別紙(二)の判決添附の別紙(三)の16事件に相当する)の認定に関しては、右判決理由において判断の資料に供した「当審における証人加藤誠治の証言」をのぞけば、右16事件で被申請人の主張する煽動者の氏名すら認定することができなくなるのであるが、川造細胞自体が同事件を画策したことを認めるに足る的確な証拠がなく、したがつて、同事件について本件申請人らに何等の責を負わせることができないという結論においては、前記判決における認定と同一である。

(2)  組合が申請人主張のごとき職場闘争をその運動方針としていたかどうかに関して、前記判決理由において判断の資料に供した甲第二八号証が本件に欠如していても、本件における上叙引用の認定を動かすに足りないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(3)  申請人遠藤に対する上叙の綜合的判定については、原審における証人今井栄泰(第二回)、玉木政利、寺岡二郎、武内信雄の各証言によつても、上叙の認定を動かすに足らない。

(4)  申請人市田に対する上叙の綜合的判定については、原審における証人武内信雄の証言中同申請人の勤務状態は一般に不良である旨の証言部分その他右認定に反する趣旨の証言部分は、前記読み替えにもとづいて右認定に供したその他の証拠ことに成立に争のない乙第一一二号証の二六の証人武内信雄の証言調書に対比してにわかに信用し難く、他に上叙の認定を動かすに足る証拠はない。

(5)  前記判決事件における甲第五号証の一、三(そのうちの上山喬一に関する部分)は、同事件において被告会社(本件被申請人)が原告上山(申請人上山)を同調者と認定する等の資料として利用していたものであつたが(被申請人提出の当審第八準備書面添附の別冊二の七二頁参照)、本件において右書証の提出されていないことは、むしろ被申請人側に不利に影響することはあつても、申請人上山が同調者でないとする上叙の認定にいささかの影響をも与えることはないのである。

(6)  申請代理人は、「申請人ら(ただし、遠藤、尾崎、市田、橋本、赤田をのぞく)は辞職願を提出して退職金、餞別金を受領したけれども、昭和二五年一〇月二〇日附で被申請人を相手方として神戸地方裁判所に地位保全等の仮処分申請をなし、被申請人は同月二四日までの間に右仮処分事件係属の事実を知つていた。したがつて、申請人らの右辞職願提出および右金銭受領に先立ち又はその直後において、申請人らが本件整理を争う意思のあることが被申請人に対して明かにされていたから、右申請人らの合意退職は効力を生ずるに由ない」と主張する。しかしながら、右申請人らのほとんどの者が辞職願を提出して退職金、餞別金を受領した同年一〇月二三日当時(一部の者はそれまでに辞職願を提出して右金員を受領していた)、被申請人側で右申請人らの仮処分申請の事実を知つていたことを認めるに足りる証拠はないし、右辞職願の提出および右金銭の受領直後に被申請人に右仮処分事件係属の事実が明かになつたとしても、それによつてそれ以前になされた辞職願の提出受理の効果が左右される筋合いではないから、右申請代理人の主張は理由がない。

(7)  申請代理人は、「職場闘争における要求事項に関しては、職場責任者に決定権がなくても、それについて決定権限のある上級責任者に通じてその決定を求めることが可能であるから、当該交渉事項について職場責任者に決定権がないことは、職場交渉を拒否する理由となりえない」と主張する。しかしながら、川造分会における各個の職場(部委員会、工場委員会は勿論、職場大会をふくむ)が組合員の全体に関係のある基本的労働条件の変更や労働協約ならびに就業規則に関する事項等について、独自に交渉する能力を有しないことは、上叙引用にかかる部分においてすでに判断したところであるから、申請代理人の右主張を判断するまでもなく、本件職場闘争は違法不当といわなければならないのである。

四、かような次第で、本件において、申請人市田に対する本件解雇は無効、申請人上山、村上との合意退職は無効である。しかしながら、申請人橋本、赤田、遠藤、尾崎に対する本件解雇はいずれも有効であり、申請人篠原、矢田、守谷、西村、久保、水口、石田、神岡、露本との各合意退職はいずれも有効といわなければならない。

したがつて、右申請人らのうち、市田、上山、村上をのぞいた他の申請人一三名は、いずれも少くとも昭和二五年一〇月二〇限りで雇傭関係が終了し、被申請会社の従業員たる地位を失つたものというべきであるから、右雇傭関係の存続を前提とするこれら申請人らの本件仮処分申請は、すでにこの点において、理由がない。

そこで、以下、申請人市田、上山、村上の賃金債権の存否ならびに仮処分の必要性に関して、判断をすすめる。

五、本件整理当時における一箇月の手取平均賃金が、申請人市田は金二二、七一五円、同上山は金七、〇〇〇円、同村上は金一三、二〇〇円であることは、原審における証人仲田俊明の証言および同証言により成立の認められる甲第三七号証(旧書証番号は甲第五号証)によつて認められ、成立に争のない甲第三四号証(旧書証番号は甲第二号証)によれば、会社の賃金規則三〇条により、賃金は、月給者にあつては、その月の一日から末日までをもつて締切りその月の二四日に、日給者にあつては、前月二一日から当月の二〇日までをもつて締切り当月の二八日支払い、なおその支払日が休日に当るときは前日に繰上げて支払うものとされていることが認められる。したがつて、月給者と推認される申請人市田は、本件整理後においても復職に至るまで右平均賃金の割合による賃金をおそくとも毎月二四日限り支払を受ける権利を有し、工員である申請人上山、村上も亦、右平均賃金の割合による各賃金をおそくとも毎月二八日限り支払を受ける権利を有する筋合いである。

申請人村上に対する被申請人主張の定年制の抗弁についてはすでに(別紙(二)の判決理由一五参照)認定したとおりであつて、申請人村上は昭和三四年六月三〇日限りで自動的に退職しているから、申請人村上は、雇傭関係の終了する昭和三四年六月三〇日までの賃金債権しか有しないわけである。

次に、被申請人主張の時効の抗弁についてみるのに、申請人市田が昭和三〇年一〇月分以降の賃金の、同上山が同年五月分以降の賃金の、同村上が同年九月分以降の賃金の各支払を求めるものであることは、申請人らの主張に照して明かであり、右各賃金の支払を命ずる本件仮処分命令の申請が昭和三一年二月二日原審になされたことは、記録上明かである。ところで、賃金支払の仮払を求める仮処分命令の申請は、実体法上の賃金債権にもとづく裁判上の請求(民法一四七条一号、民事訴訟法二三五条)の一態様にほかならないと解すべきである。そうすると、本件仮処分の申請前に履行期の到来していた右申請人らの本件申請にかかる賃金債権は、いずれも労働基準法第一一五条の定める二年の時効期間の到来前の右昭和三一年二月二日の本件仮処分申請によつて時効中断の効力を生じ、本件仮処分の申請後に履行期の到来する右申請人らの賃金債権は本件仮処分事件の係属中は時効が進行しないわけであるから、被申請人主張の時効の抗弁は理由がない。

さらに、申請人らの賃金債権の行使は権利乱用であるとか、賃金の支払を求める権利がいわゆる失効の原則によつて失効したとか、申請人らが本件賃金の支払に関して仮処分の申請を求める権利を放棄したとか、該権利が失効したという被申請人の主張に対する当裁判所の判断は、原審と同一であるから、原判決の関係部分の理由(原判決二二九頁八行目から二三七頁四行目まで。すなわち、原判決の上欄の〔一三五〕から〔一三九〕までの部分)をここに引用する。

六、右申請人らに関する仮処分の必要性

(一)  被申請人は、本件の仮処分において賃金の支払を命ずることは、申請人らに対し、本案勝訴の確定判決と同様に権利の終局的満足を与えるもので、しかもその回復は事実上不可能であるから、法律上仮処分として許容される限界を逸脱するものであると主張するけれども、賃金の支払を命ずる仮処分が権利侵害の態様に応じて法の認容する制度の一つであることは、民事訴訟法第七五八条第二項に照して明かであるばかりでなく、違法無効な解雇という労働者の生存権に対する権利侵害が当該労働者に対して事実上回復し難い精神的物質的損害を与えてしまう場合のあることに想到すれば、使用者側の与えるかかる著しい権利侵害の事実に目を覆うて、仮処分によつて給付した賃金の事実上の回復不能の一面のみを強調するのは、片手落ちのそしりをまぬがれない。被申請人の右所論は理由がない。

(二)  違法無効な解雇によつて事実上離職した労働者が仮処分によつて賃金の支払を求めるについては、右仮処分制度が当該解雇によつて労働者が現実に当面している生活上の不安や精神的痛手を除去するのでなければ、賃金請求権が有名無実化するという点を顧慮して設けられている点にかんがみ、これを許容するのに慎重な配慮を必要とすることは勿論であるが、しかし、「かかる仮処分が許容されるのは、解雇直後で、しかも他に就職の途もなく、最低限度の生計又は生存を維持しえない場合に限られる」とする被申請人の主張は余りに狭きに失する見解として当裁判所の採用しないところである。この点において、違法無効な解雇によつて受けるであろう労働者側の生活関係の不安の一面ばかりでなく、当該労働者の地位をはじめ、使用者側の権利侵害の態様、企業規模等をも較量して、当該労働者の既得的地位にふさわしい生活程度と精神的衿持が保てるかどうかの点をも慎重に考慮しなければならないものと考える。

(三)  また、被申請人は、現在の時点からみて、昭和三一年前後の過去の賃金までも仮処分によつて給付を命ずるのは、仮処分によつて避けようとする「現在の危険」とはいえないと主張するけれども、申請人らが本件仮処分命令を申請した昭和三一年二月二日当時にあつては、そこで求められている昭和三一年前後の賃金は、まさに「現在の危険」を避けるためにこそ求められていたものであつて、それが本件仮処分の審理過程において次第に過去へと回帰して行つたものにすぎない。仮処分の審理判断が一日にして成るものではなく、事件の態様、規模に応じてそれ相当の時間を必要とすることも、やむをえないところといわなければならないし、被申請人側もそれを甘受していた筈である。被申請人の所論をつきつめてゆけば、違法無効な解雇を受けても、当該労働者が生存をつづけ得た過去の期間にわたる賃金は一切賃金支払を命ずる仮処分によつて保護されないことにもなるであろう。被申請人の右所論は到底当裁判所の採用しえないところである。

(四)  当審における証人別所時雄の証言により成立の認められる乙第一一三号証の一三によれば、申請人市田が妻子四人を抱える五人家族で、長女は中学一年生、長男は小学校五年生、二男は小学校一年生であり、能率風呂工業株式会社に勤務して昭和三四年度から同三六年度に至る間年間約五九〇、〇〇〇円の収入(税込みと思われる)を得ていたことが一応認められ、又昭和二八年七月頃からある会社(右会社と同じかどうかは証拠上明かでない)に就職して手取月収約二五、〇〇〇円を得ていたことは、同申請人の自認するところである。また、前掲別所証人の証言により成立の認められる乙第一一三号証の九によれば、申請人上山は妻子二人を抱える三人家族で、昭和二七年頃より田中鉄工所、末松鉄工所を経て現在坪内鉄工所に勤務し、昭和三四年度約二一六、〇〇〇円、同三五年度約九四、〇〇〇円、同三六年度二五六、〇〇〇円の収入程度(税込みと思われる)であつたことがうかがわれ、前記証人の証言により成立の認められる乙第一一三号証の一〇ならびに弁論の全趣旨によれば、申請人村上は、妻子二人を抱える三人家族で、靴の販売で漸く生計を立てているにすぎず、その収入程度は取り立てていうほどのものではないことがうかがわれる。

本件整理がレツドパージといわれたものであるだけに、右申請人らが本件整理によつて被申請会社のような大会社への再就職にも恵まれずに受けたであろう精神的、物質的苦痛の想像を絶するほどに大きかつたであろうことは、弁論の趣旨に徴してもうかがわれるところであり、右申請人らが職を求めて転々としたとしても、その最大の原因は本件整理に淵源するものと解するのが自然であつて、特段の事情の認められない限り、本件整理と相当因果関係に立つものと認めるのを相当とする。被申請人のこれに反する所論は、当裁判所の採用しないところである。

さらに、右申請人らが現在得ている前記認定の地位、生計が安定しているものとは、右資料だけでは必ずしも断定し難いばかりでなく、原審証人仲田俊明の証言ならびに同証言により成立の認められる甲第三五号証、第三六号証(旧書証番号は甲第三、四号証)に徴してもその一端がうかがわれるように、もしも右申請人らが本件整理の対象とされずに引き続き会社に残留していたならば享受し得たであろう給与、社内的地位などを、右申請人らが現在得ている給与、地位と比較する場合、本件整理によつて受けた右申請人らの生活上の不安、精神的苦痛は今もなおいやされず、影の形にまとうが如く、右申請人らの全人生につきまとうていることを看取するに難くない。もつとも、本件仮処分申請は昭和三一年二月に申請されたものではあるが、右申請人らは、本件整理当時の昭和二五年一〇月二〇日付の第一次仮処分申請以来、とに角本件整理の効力を争つているものであり、本件事実審の終結にこぎつけるまでに相当長い年月を経過していることについて、右申請人らの責のみに帰しえないことも明かであるから、本件整理当時から年月の経過しているという事実のみによつて、本件仮処分の必要性が消滅してしまつたものと断ずることもできないのである。

(五)  以上の諸点ならびに右申請人らに対する本件整理の無効事由その他本件弁論に現われた全資料を彼此検討すれば、右申請人らについては、本件賃金支払の仮処分の必要性はなお存在するものというべきであるが、その必要性の限度については、労働基準法第二六条の趣旨をも汲み、前記認定の各手取平均賃金月額の一〇〇分の六〇を限度とするのを相当とする。

七、結論

以上の次第で、本件仮処分申請中、申請人市田に対しては、その求める金額の一〇〇分の六〇に相当するものとして、昭和三〇年一〇月分として金二、七四二円および同年一一月以降復職にいたるまで一箇月金一三、六二九円の割合による賃金の支払を求める限度において、申請人上山に対しては、前同様、昭和三〇年五月分(ただし、前月の二一日より当月の二〇日に至る分、以下同様)として金六〇〇円および同年六月分以降復職に至るまで一箇月金四、二〇〇円の割合による賃金の支払を求める限度において、申請人村上に対しては、前同様、昭和三〇年九月分として金六、二四〇円および同年一〇月分以降昭和三四年六月三〇日まで一箇月金七、九二〇円の割合による賃金の支払を求める限度において、右申請人らの申請を許容し、右各限度を超える部分については、いずれもその申請を却下し、右申請人ら三名をのぞくその他の申請人の本件仮処分申請はいずれも全部却下すべきものである。したがつて、被申請人の控訴にかかる昭和三二年(ネ)第一〇九〇号事件と昭和三三年(ネ)第六八号事件中の申請人遠藤、尾崎、市田、橋本に関する部分については、主文第一項のとおり変更し、昭和三三年(ネ)第六八号事件のその他の申請人一二名中、申請人上山および同村上に関する部分は原判決を取り消して主文第二項の(一)のとおりとし、その余の申請人一〇名については、同申請人の控訴をいずれも棄却することとする。よつて、民事訴訟法第三八六条、第三八四条、第九六条、第九三条、第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 沢栄三 木下忠良 斎藤平伍)

別紙 (一)

申請人氏名 一箇月平均手取賃金 申請人らの各請求にかかる金五〇、〇〇〇円の内訳

遠藤忠剛  二〇、八〇〇円   昭和三〇年一〇月分中八、四〇〇円と一一、一二月分

尾崎辰之助 三〇、五〇〇円   同年一一月分中一九、五〇〇円と一二月分

篠原正一  九、七〇〇円    同年七月分中一、五〇〇円と八月分から一二月分まで

矢田正男  一一、四〇〇円   同年八月分中四、四〇〇円と九月分から一二月分まで

守谷米松  一五、五〇〇円   同年九月分中三、五〇〇円と一〇月分から一二月分まで

西村忠   一二、〇〇〇円   同年八月分中二、〇〇〇円と九月分から一二月分まで

久保春雄  一五、六〇〇円   同年九月分中三、二〇〇円と一〇月分から一二月分まで

水口保   六、九〇〇円    同年五月分中一、七〇〇円と六月分から一二月分まで

上山喬一  七、〇〇〇円    同年五月分中一、〇〇〇円と六月分から一二月分まで

村上寿一  一三、二〇〇円   同年九月分中一〇、四〇〇円と一〇月分から一二月分まで

石田好春  一一、一〇〇円   同年八月分中五、六〇〇円と九月分から一二月分まで

神岡三男  一四、〇〇〇円   同年九月分中八、〇〇〇円と一〇月分から一二月分まで

露本忠一  一一、〇〇〇円   同年八月分中六、〇〇〇円と九月分から一二月分まで

橋本広彦  一五、二〇〇円  同年九月分中四、四〇〇円と一〇月分から一二月分まで

市田謙一  二二、七一五円  同年一〇月分中四、五七〇円と一一、一二月分

赤田義久  一〇、二二〇円  同年八月分中九、一二〇円と九月分から一二月分まで

別紙 (二)

大阪高等裁判所

昭和三一年(ネ)第四七三号事件

同年(ネ)第四七四号事件

の判決

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